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新卒からJPモルガン副社長まで駆け抜けた道のり、今後のキャリア

攻めるキャリア、面白いキャリアを。

現在、みんなの党所属の参議院議員であるJPモルガン前副社長の中西けんじ氏。
参議院議員になる前の、"中西健治"氏の小セミナーをスローガンで聴いて、「本当にかっこいいな」と感動した記憶をふと思い出した。
たまたま当時の議事録があったので、そちらを載せようと思います。

セミナー自体は具体的な政策についてなども言及していましたが、こちらは割愛いたします。
もし問題ある方いらっしゃいましたら、メッセージ頂ければ幸いです。


経歴

1988年東大卒業 JPMorgan新卒入社し21年間働き続けた。

JPモルガンで働き出した理由

60年代~80年代:生活も豊かになった
88年:バブル絶頂
89年:日系平均が4万にいくか

バブル絶頂の当時、日本の会社以外はありえないと考えられていた
その時に外資系に行くのをバカにされた
当時、外資系の金融機関なんて変なモノ扱いだった。

新卒が始まった時期。
あまのじゃくな性格。みんなが絶対良いっていうと、それほんと?ってなる。
JPモルガン、同期の7割がB型(笑。

早い時期にスキルを身につけたいと感じた。
特に自分にしか出来ないこと。
竹中工務店の常務がベタ褒めする20代を紹介された
何でも仕事が出来て、英語もめっちゃ出来る。こいつすげぇな。しかも名前が通ってる。

3年間しっかりやれば、スキルが身に着くんじゃないかと感じた。

どの人と働くのかが大事
大きな企業じゃないので、どの人と働くかが分かる。
結果として、竹中に紹介された人とJPで働くことになった。

21年間外資系で同じ会社は珍しい。
責任範囲が広がる、報酬が増える。=>会社が変わるとありえある。
A社の強みを持っている人がB社で働く。=>給与が高くなったりする
隣の芝生が青い症候群。結構いる。

自分と会社が一緒に成長していく感覚
これが凄い大きなやりがいになっていた。

やりがいのある仕事、チャレンジングなことが出来る仕事があり続けるのならば、ずっとそこでやるべきだ。

社会に出てから1年が大事。
大体その人自身の価値の勝負がついてしまう。
社会人としての基礎を身につける。基本動作。これが出来れば、ずいぶん伸びる。
とにもかくにもしにもの狂いで働く。
与えられた仕事をただ徹底的にやることに、集中すべきだ。
人脈を広げたりとかではない。

小さな企業ほど、仕事が出来る奴ほどそいつに仕事がどんどん任されていく。
仕事が集まってくると、さらに出来るようになる。良い循環。
大手だと分業化が進んでしまっている。
出来るヒトだと思われる。


外資系証券について

■ボス
NYやロンドンにボスがいる。
ロンドンやNYの市場にを相手にする。
向こうの時間に合わせる。
すなわち、朝早かったり遅くなったりする。
意外と土日は休みはとれる世界ではある。

投資銀行部門はキツイけど、別に年がら年じゅうではない。
外資系は効率の良い会社の運営を目指している。

■報酬
ほんとに能力制。
基本給は全然変わらない。
1年間でどんだけ会社に収益をもたらしたのですか?これが査定される。
人によってバラバラ。0の人もいっぱいいる。

スリーシックスティー。360度の意見を聞く。
しっかりとした人事はあり。
英語が出来て、外人の上司とうまくやりゃいい・・・という世界ではない。


入社後のキャリア

■社会人のキャリアのフェーズ
3つのキャリア

  1. 新入社員~自律
  2. バリバリのディールメーカーの時期
  3. 幹部職員・チームを率いる時期


(1)新人時代
人が居ない世界。はじめから大きい世界を相手せよ。
情報を出来る限り集める。
JPモルガン中西の情報として相手に提供する。

会社の電気は自分でつけるという自己ルールを決めた。
始発で会社にいく。
(2年上の先輩のシャクに触ったのか、そいつがタクシーで始発より早くるので勝てなくなった笑)

情報をモーニングミーティングより、先に来て情報を集めまくった。

上司は何も助けてくれない。
初のディールが成功すると、ネクタイを切る風習。

自分のルールを決める。

(2)バリバリ時代
啓もう活動で信頼を勝ち得ていた。
債権の営業をしていた。
私はトレーダーになりたかった。
凄い大きな商いを連発で成立させ、収益をあげた。

お客様が、上司に直接訴えかけてくれた。
JPモルガンの中西さんに頼んでいる」
営業って自分にとって、天職だ。と感じた。

1週間かかる資料づくりを
徹夜で1日やった。
何千件とディールの内容をまとめて、自分で提案した。
みんなで徹夜であつまって、たった1日で作った。
お客様がビックリした。
この保険会社でやったことは、他の会社にも活かせた。

相手の気持ちを先回りしろ。
自分がこれを天職だと思える

(3)チームを率いる時代
常に自分は現場にいないといけない。
自分が一番仕事をしているということを示さないと、みんながついてこない。

失業率でも、色々な指標がある。それを全て租借する。
上に立つものがリーダーとして、手本を示す。
土日もしっかり仕事をするという意識が必要。

そういうことを考えて欲しい。
こういったスタンスで仕事をしていく。

退社〜

■なぜ、会社をやめたのか
日本って厳しい。
世界中を相手に仕事をしている。

ここ5年間でNYからみて、日本の市場は小さくなってきている。
アジアの中で、japanとnon japanという扱いだった。7:3とかだった。
今は減ってきている。無視はできない。
日本に期待はしていない。
撤退する訳にもいかないし、いちおうやっておくか程度。

日本の経済は成長しない国だと思われている。
NYの連中に、「日本は減らす方向だよね」これが悔しい。
日本の地盤沈下と共に、自分もつまらなくなってくるのは絶対に嫌だ。
だから少しでも日本の方向性を変えたいと思っている。

45歳で会社をやめた。社会人としてのキャリアとして真中だな。
60代後半まで、主体的に活動したい。

今までは家庭や会社に貢献したい気持ちがあった。しかし、今は日本に貢献したいなという感覚にシフトしている。


質疑

■20代の人に何を期待しているか
自分にはこれが出来る、ということを是非身につけてほしい

投資銀行って、仕事としてつぶしが利くってホント?
ないな。
財務諸表が読めるようになっているというのは、それは役に立つ。
どの職種も専門的なことは役に立つ。

■就活当時のビジョンは?
尊敬されるプロになりたい
ここに来る前に、JPの同期会があった。
「信頼されるバンカーになりたい」
それ以上具体的なものはなかった。

■グローバルリーダーとして求められる素質は?
複眼的に見れないとだめ。
きっちり交渉できるか、説明できるか
理にかなったことを言えるか

■仕事が出来るなって感じる部下の特徴
熱中している奴
いま抱えているディールとかに入っちゃってるなっていう奴は伸びる。
チームを率いる立場としても、オーラ出ているなって感じる。
採用時にはわからない。
入ってきて18カ月の間にオーラが出てくるなという風になる。

■財務諸表が読めるってどんな意味
MAは会計士レベルで必要。
ミクロは財務素表

■会社の計画をどうやってたてた?
1年単位
バジェット
フレッキシブル

■チームを率いることについて
フェーズ2ではお客の期待を上回れ。
フェーズ3では一緒に働く奴の気持ちを考える必要がある
みんな褒められたくてやっている。認めて貰った。
OK THANKSだけではだめだ。言葉としてマイナスだ。

■21年間で一番大変だった時期
始めの数年間。
先が見えない時期。肉体的に精神的なことのほうが。
一番迷うのはフェーズ3の時期。
フェーズ2はただひたすらやるだけだから、そんなに迷いはない。

■同期どのように感じてる?
はじめはライバル。今は助け合う存在。
大学の同期は、助け合いやすい環境。
それぞれが違う業種で活躍している。
同期との付き合いは大切にしたほうがいいよ。
JPモルガンの88年組は一番優秀だと言われている。

■就活するならどんな会社いく?
採用人数がめちゃめちゃ多い所は避ける。
自分が個人として輝ける、確からしいところにいく。リスクを取る。

■景気後退してる中で、どうやってチームに夢もたせてまとめたの?
当時はまだまだ市場は動いていた。

■モチベーションの維持は?
やる気がでてるのが良く分かるっていわれる。(逆なことも分かりやすい)
気持ちが前向きじゃないとだめ。
運動も常にしている。それをやっていないときは、やる気がないときかも。

■どういった道筋で情報を咀嚼したの?
何か情報がでたら、色んな角度からの見方を知る。
2つ3つを知ること。その中で判断してゆく。
専門家として、このエコノミストはどういっているのかを
信頼出来る情報源をみる

■理想の上司は?
人間的にどうなのかっていうのが一番大切。
・人間偉ぶったらお終い。
・常に自分のエネルギーレベルを高くたもちたい。
・常に感性をしなやかにたもつ。

■学生のうち、やったほうがいいこと
出来る限り、海外にでること。
まとまった時間とれなくなる。
専門とすることを勉強しだしたほうがいいと思います。

最後に一言

リスクをとれ。
チャレンジしろ。
常にチャレンジ精神をもつこと。
失敗したらもう一度やろう。



さて、この気持ちを忘れないで、毎日働きますかな。